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             バキッ!バキバキバキッ! 
            ズズゥン…… 
             
            「2人とも、よく続きますねー」 
「いや、何のんきなこと言ってるんですか」 
あくまでものんきに、いつもの調子で話す琥珀に志貴がツッコミを入れる。 
あのあと、すっかり戦闘モードに入った2人はさすがに屋敷の中で戦わないで、外に出た。 
そして、琥珀が世話をしている裏庭や、外から見える(まあ、用も無いのにここに来る人間はいないのであるが)正門側を避け、離れのある森の方で戦っている。 
そして、2体の超生物同士の戦いの余波か、さきほどから森の木々がへし折れ、倒れる音が聞こえてくる。 
裏庭からそちらの方を見ていると、住み処を追われた鳥たちがいずこかへと飛び去っていく。 
「あーあ、かわいそうに」 
「いやだから琥珀さん、そんなのんきな」 
            「しかし、私や姉さんではお二方の争いを止めることなどできません」 
あくまでいつものように呟く琥珀に、志貴が再度ツッコミを入れていると、翡翠から冷静な一言が返ってくる。 
「まー、そりゃそうなんだけどね」 
実を言ってしまえば、翡翠も琥珀も「普通の」人間ではない。 
秋葉が「略奪」の力を持つように翡翠と琥珀も特殊な力を持っている。 
「翡翠ちゃんの言う通りです。今の私にできることと言えば、秋葉さまの力を増幅するぐらいです。しましょうか?」 
「いえ、いいです」 
            そう。翡翠と琥珀の能力は「感応」。 
            二人とも、何らかの方法で「契約」を結んだ相手に自分の力を送り込み、その能力を増幅することができる。 
そして、秋葉と琥珀は「契約」を結んでいるので、琥珀があの場に近づけば、秋葉の能力は飛躍的に増加する。 
しかしまあ、今の秋葉がそんな力を手に入れてどうすると言えば、決して平和的な目的に使うわけはなく、恐らくはアルクェイドとの死闘で勝利を得る為に使うわけで、それは全くもって望むところではない。 
っていうか、これ以上戦闘が激化されると遠野家の敷地内は焦土となるに違いない。 
 
            ばきっ!ずずずずずずぅん。 
            また、樹が一本倒れた。 
            秋葉の力を増幅しようとするまいと、遠野家は風前の灯火のようだ。 
志貴がそんなことを考えていると、目の前に何か細長いものが差し出される。 
「七夜」と彫り込まれた短刀。志貴が愛用している、七夜の家に伝わる短刀だ。 
「……翡翠?」 
無言で志貴の前にうやうやしく短刀をささげる翡翠に、志貴が声をかける。 
「ああなった秋葉さまを止められるのは志貴さんだけですから」 
何も言わない翡翠に替わって、琥珀が返事をかえす。 
「いや、止めるってあんた」 
「だって、志貴さんの妹と志貴さんのご友人が志貴さんのことで争ってるんですよ?志貴さん以外の誰も止められません」 
「いや、そうかもしれないけど」 
確かに自分が行くべきなのはわかっているが、どうしても行けなかった。 
最近研ぎ澄まされてきたような気がする自分の本能が告げている。 
あそこに行くと確実に死ぬ。 
            反転した秋葉と本気になったアルクェイド。 
            どちらか片方ならまだ相手も……できないとは思うがまあ、逃げ回って冷静になるのを待つぐらいなら何とか。 
そんなことを考えてみたが、七夜の短刀はあいかわらず自分の前に差し出されている。 
双子の姉妹の方を見ると、翡翠は無表情に、琥珀はいつもの笑みを浮かべて志貴の方を見つめている。 
「いや、あの」 
志貴はなんとか気の利いたことを言おうとするが、どうもうまく言葉がまとまらない。 
しかし何か言わなければ、と思って口をもごもごと動かす間も、二人はじっと自分を見つめている。 
「えーと」 
なんとかこの状況を打破しようと、脳みそをフル回転させ、様々な言葉を組み立てようとするがうまくいかない。 
 
            ずい。 
悩む志貴の前に、翡翠がもう一度短刀を差し出した。 
「いや翡翠、これは」 
            ずい。 
短刀がまた差し出される。 
「……行ってきます」 
「行ってらっしゃいませ、志貴さま」 
「行ってらっしゃい、志貴さん」 
なんだかいつになく抜群なチームワークを見せる翡翠と琥珀に見送られ、志貴は戦場へと旅立った。 
 
裏山は、暗かった。 
もうそろそろ昼も近づき、太陽はだいぶ上に昇っているのだが、全くと言っていいほど人の手が入れられておらず、うっそうと木々が茂る森の中に陽光はあまり入ってこれないようであった。 
しかし、先ほどから繰り広げられている影響か、あちこちの木々がやけに不自然な形に壊されており、そこからは光が多めに降り注いでいる。 
それでも、志貴はこの森が「明るくなった」とは感じられなかった。 
            確かに実際に光量は増えているのだが、あたりは明るくなってはいない。 
            空気そのものが光を拒むかのように、この森の外の平和な空気を拒むかのように、その存在を感じさせる。 
志貴は昔、こんな森を見たことがあるような気がした。 
 
黒いカーテンのように見えたあの森。 
木々の向こうに人の気配を感じ、その森の中にふらふらと入っていった自分。 
そして、その向こうにあったのは、血で真っ赤に染まった地面と、その中で絶対権力者のように立っていたあの男。 
七夜の一族を、そして自分の実の父を殺した男、軋間紅摩。 
            あの男を目の前にした瞬間に志貴の脳裏によぎったものは、自らの肉親が死んだことに対する悲しみではなく、自分の一族を無残に滅ぼした男への怒りでもなく、ただ「自分はここで死ぬのだろう」という思い。 
            そこに感情の入る余地はなく、絶対的な力を持つものを前にした、単なる事実。 
しかし、予想を反して志貴は殺されなかった。 
それが男の気まぐれなのか、あるいは男に七夜の郷を滅ぼすことを依頼した遠野槙久の命令かははわからないが、志貴は生き残り、遠野の家に預けられた。 
しかし、あの時のことは決して忘れることができない。 
暗く、圧迫感のある森と、その空間の「支配者」たる生物。 
そこに棲むすべての生物を凌駕する力を持ち、すべての生殺与奪の権利を握るものの持つ圧倒的な威圧感。 
 
そして、今この森のなかにも支配者がいる。 
しかも、それは2人の女性。 
 
ところどころ、不自然に破壊された森をたどっていくと、木々があらかたなぎ倒され、広くなっている場所に出た。 
そして、そこには森を支配する女性が2人立っていた。 
 
木々がなくなり、障害物がなくなった平地に秋葉の赤い髪があたり一面に広がり、光を照り返して、きらきらと美しく輝いていた。 
そして、その中心に立つ秋葉。 
その目の前に立つアルクェイド。 
ただ立っているだけであったのに、2人は、こんな破壊の真っ只中にいるというのに、美しかった。 
            2人とも、普段から「美しい」ことは間違いないのだが、それにも増して美しく感じる。 
            それは、たとえるならば肉食獣の美しさ。人よりも一歩上の力を持つものだけが手に入れることのできる美しさ。 
志貴は、思わず見とれてしまった。 
 
しかし、2人は志貴には全く気づいていないのか、再び闘いを始める。 
アルクェイドが、ゆらりと、全く自然な動きで動き出し、そのまま風のように秋葉に迫る。 
しかし、その人外の速度に秋葉は全く当然のように反応し、「檻髪」が発動する。 
アルクェイドの生命力を奪うべく髪の毛がざわめき、その体に迫る。 
 
            パン! 
しかし、「檻髪」がアルクェイドに届く前に何かに弾かれ、地面に叩き付けられる。 
            パン!パン!パパパパァン! 
弾かれたことを意にも介せず、まるでそんなことには気づいていないかのように次々と、アルクェイドの周囲のあらゆる方向から髪が迫る。 
しかし、それらはどれもアルクェイドに届くことはなく、全て地面に叩き付けられる。 
 
「無駄よ、妹。あなたが私の思考を越えない限りわたしには傷一つつけることはできない」 
            ―空想具現化(マーヴル・ファンタズム)− 
アルクェイドが持って生まれた超抜能力。 
アルクェイドの空想は具現化し、樹木や土、そして、空気をはじめとする自然は彼女の思うがままに姿を変える。 
その力を持ってすれば、何も無いところに巨大な城郭を存在させることや、望む場所の空気を真空に変え、その中にいるものを塵になるまですりつぶすことすら可能になる。 
 
しかし、今はそこまでして秋葉を滅ぼす気は無いようである。 
その能力はもっぱら防御に使われ、アルクェイドの周囲に固体化した空気が不可視の壁を作り、秋葉の髪の侵入を阻んでいる。 
            パパパパパパァン!!!! 
しかし、秋葉の髪は変わらずに絶え間なく攻撃を続け、さすがに間合いを詰め切れずに、後ろに飛び退き、間合いを取る。 
             
「知ってますよ、アルクェイドさん。あなたがその能力を離れた場所に使うためには、その場所を「認識」する必要があるんでしょう?」 
くすりと、可笑しそうに笑いながらアルクェイドにそう話し掛ける。 
それを聞き、それまで余裕の表情を浮かべていたアルクェイドの表情がかすかに歪む。 
……どうやら、アルクェイドは「殺す気が無かった」のではなく、「殺すための条件が揃わなかった」だけらしい。 
「遠野の家を侮ってもらっては困りますね。あなたが兄さんと関るようになってから、少し調べさせていただきました。あなたの素性も、してきたことも」 
「黙りなさい」 
            秋葉の言葉を遮り、まるで王が臣下に命じるように、拒否を許さぬかのようにアルクェイドが言葉を発する。 
「あら、自分のしてきたことを思い出したくはないんですか?」 
「黙りなさい。そう言ったわよ」 
アルクェイドの言葉を無視して、秋葉はとても楽しそうに話しつづける。 
「死徒を倒すためだけに、凄まじい力を与えられ−」 
「やめなさい」 
「その力を、死徒を倒すこと以外に使うことはできず−」 
「やめなさい。まだこの世に存在していたいのなら」 
「自分の下僕に騙され、同胞を滅ぼし尽くした愚かなお姫様」 
秋葉がアルクェイドの警告をことごとく無視し、そう告げた瞬間。 
 
世界は、恐怖に震えた。 
 
            秋葉とアルクェイド、2人の戦いの前で何もできずにいた志貴の目の前で、アルクェイドが変化した。 
外見はさして変わることはない。目を一度閉じ、一呼吸置いてゆっくりと目を開く。 
このアルクェイドを見たのはこれで2回目。 
何者も彼女を殺すことはできず、彼女の前に立ちふさがったものはその存在を許されない。 
真祖たちに産み出されながら、真祖をすら滅ぼす力を与えられた存在。 
その目が、金色に輝く時、敵対するすべての存在はこの世から消えてなくなる。 
朱き月の力を継ぎ、死徒を滅ぼす時以外は自らの力を恐れ、自らを千年城に封じつづけた純白の吸血姫、アルクェイド=ブリュンスタッド。 
誰も打ち勝つことのできない、全てに勝る絶対者が今、ここに出現した。 
 
そんなアルクェイドを見ても全く恐れること無く、むしろ嬉しそうに秋葉は言葉を続ける。 
「そう。愛する人を賭けているんですもの。すべての力を出し合わなければー」 
そう言うと、秋葉の檻髪が、生命力を奪い尽くす魔の檻がいっせいに動き出す。 
            ざわっ。 
「賭けの対象である兄さんに対して、失礼と言うものです!」 
            今までとは違い、アルクェイドの周囲に張り巡らされた髪の毛が、360度、いや、それどころではなく、ありとあらゆる方向からアルクェイドに襲い掛かり、包み込もうとする。 
            パパァン! 
アルクェイドの周りにある、硬い空気の壁が秋葉の髪を弾き返す。 
しかし、弾かれても弾かれても、何度弾かれても他の髪がのび、空気の壁ごと包み込む。 
            そして、しばらく力のぶつかり合いがあった後に、アルクェイドの周囲を赤い髪が包み込み、球体を形どる。 
 
            そして、ギシギシと音を立てた後に、グシャ、とやけに生々しい音を立て、球体が崩れる。 
そして、秋葉の髪はやっと本来の獲物にありついた飢えた獣のようにアルクェイド本体を包み込む。 
「案外あっけなかったですね」 
秋葉はそう呟き、睨み付ける。 
「檻髪」による「略奪」が発動し、アルクェイドの全てを奪い取る。 
 
かと思った瞬間、秋葉の髪は塵に帰った。 
 
「なっ……!」 
アルクェイドを包む髪はおろか、周囲に張り巡らせた結界の大半も塵と化し、さすがに驚きを隠せない秋葉。 
そんな中、朱き月の後継者は歩を進める。 
「手後れよあなたはわたしの一番触れられたくない部分に触れた。いくら志貴の妹だからといって許すわけにはいかない」 
「あ、あの攻撃の中で空間を「認識」することができるなんて……」 
            「攻撃?攻撃って言うのはね、対象に危害を加えられるもののことを言うのよ。」 
「くっ!」 
悠然と立つアルクェイドの前に、再度檻髪が瞬時に展開され、秋葉が睨みつける。 
アルクェイドの防御が間に合わなかったのか、何の妨害も無く髪の毛が絡みつき、秋葉の能力が発動する。 
「略奪」が行われ、アルクェイドの生命力を奪い取る。 
容赦のない、体の中心から生命力を奪う一撃。 
今までに感じたことの無い、恐ろしいまでの密度と量をほこる生命力が流れ込んでくる。 
いかな吸血種といえども、体の中枢が動かなければ倒れ伏すしかない。 
いずれ復活するとしても、時間さえあれば対処は可能になる。滅することはできずとも、封じることぐらいはできるはずだ。 
 
            しかし、そんな秋葉の考えを嘲笑うかのようにアルクェイドは変わらず立っていた。 
            うるさい虫を払うように手を振ると、秋葉の髪がまた塵になる。 
 
「な、なんで。あそこまで奪ったのに……」 
「人間が、いくら高性能なポンプで水を汲み出そうと、海の水を枯らすことはできない。そういうことよ」 
冷たく言い、まだ信じられないと言った風に立ち尽くす秋葉に向かっていくアルクェイド。 
「あなたは、わたしの最も触れられたくない過去にずかずかと土足で踏み込んだ。もう絶対に許せはしない」 
アルクェイドがそう言いながら近づいていくのにあわせて、秋葉はじりじりと後ずさる。 
恐らく本人も無意識だったであろう、後退。 
            それは、間合いを取ろうとか時間を稼ごうとかそういった「考え」ではなく、あきらかに自分に優り、決して勝つことのできない生物に対する恐怖。そういった「本能」であった。 
じりじりと秋葉が後退していくと、やがて硬いものに突き当たる。 
慌てて首をひねり、後ろを見るとそこには岩壁があった。 
「逃がしはしないわよ」 
アルクェイドが、楽しそうにそう言うと同時に、秋葉とアルクェイドの周りの地面が次々と隆起し、岩壁を形作る。 
「終わりよ、妹。大丈夫。痛みを感じる暇すらないわ」 
3メートルほどの高さにまで盛り上がった岩壁の向こうからアルクェイドの声が聞こえる。 
そして、秋葉の最後の悲鳴が響いた。 
「……兄さんっ!」 
 
            自分の体が、まるで他人のもののようだった。 
秋葉が自分を呼ぶ声が聞こえた瞬間、それまでその状況に対処できずに呆然と立ち尽くすだけだった自分の体が勝手に動いた。 
            今まで塞き止められていた水が堰を切り、流れだしたかのように志貴の体が動きだす。 
            志貴が思考するよりも早く、右手は七夜の短刀をポケットから出し、左手で眼鏡を外す。魔眼封じの眼鏡を。 
            そして、まるで獣のような速さで岩壁までたどり着いた志貴は、一呼吸も置かずに七夜の短刀をひらめかせる。 
            志貴の青く光る直視の魔眼が見極めた「線」にそって走らされたナイフは、岩壁をまるでバターのように切り分ける。 
『ああ、どこかでこんな事があったと思ったら』 
そう。志貴が街で始めてアルクェイドを見掛け、気がつくとその体を17つに分割していた、その時と全く同じ感覚であった。 
 
そして、志貴は岩壁が崩れきるのを待つこともなく、崩れ落ちる岸壁の破片をぬって、人間ばなれした動きで走りこむ。 
そこには、地面に座りこむ遠野の血に連なるものと、目を金色に輝かせる真祖がいた。 
(遠野の当主と吸血種か) 
志貴の中の「七夜志貴」が冷静に戦況を分析する。 
(違う!2人の争いを止めるんだ!) 
            志貴の中で「遠野志貴」が懸命に叫ぶ。 
            そして、真祖―アルクェイドーが志貴に向かって声をかけた。 
「あーあ、見つかっちゃったか。でも、ごめん。いくら志貴の頼みでももう止められないんだ」 
まるで悪びれることもなく、そう告げるとまた秋葉に向き直る。秋葉はまだ状況がつかめないのか座り込んだままだ。 
そして、いつのまにか秋葉の髪は普段の黒い髪に戻っていた。 
(遠野に戦意はない。敵は吸血種) 
七夜志貴はそう判断すると、吸血種に向き直り、七夜を逆手に構えると目を凝らす。 
(やめろ!僕は2人とも殺したくない!) 
            真昼だと言うのに、「死」を具現化した「線」も「点」も見えてこない。 
「駄目だよ志貴。いくら邪魔したくても、今のわたしを殺すことはできない。例え志貴でもね」 
            しかし、七夜志貴はその言葉を無視して目を凝らす。 
志貴の青い眼「直視の魔眼」はすべての存在の「死」を見ることができる。 
通常、その眼が見るものはモノの壊れやすい部分を示す「線」と、生物の「死」そのものを示す「点」のみである。 
            しかし、その目を凝らし、その神経のチャンネルを切り替えることによってあらゆる物体の「点」を見ることができる。 
            それが岩石であろうと、金属であろうと、あるいは「空間」そのものであろうと。 
しかし、本来見ることのできない「死」。しかも、自分とはかけ離れた存在の「死」を見ようとした場合、志貴自体にも激しい負担がかかる。 
            そもそも、人間の脳は「死」と言うものを理解しない。 
            あまつさえ、「空間の死」などというものを理解する存在など、あるのかどうかすらあやしい。 
            それを無理矢理「見る」のだからその視神経と脳には負担がかかる。 
            まず眼に痛みが走り、視力が弱り、しまいには脳が耐え切れずに気を失う。 
それを耐え切れば、どんなものであろうと「殺す」ことができるかもしれない。 
しかし、志貴にとって幸いなことながら、それを試す機会は巡ってこなかった。 
最悪でも気絶である。 
 
しかし、相手は強大な力を持つ吸血種の、しかも真祖だ。 
吸血種はこちらを睨みながら言う。 
「いくら志貴でも、2度も殺されてあげる気はないわよ」 
言いながら金色に輝く眼を吊りあがらせ、油断無く構える。 
 
面白い。 
言われてみれば、この吸血種は以前「殺した」ことがある。 
その時は「線」を使って肉体をバラバラにしただけだったので、この吸血種は次の日に蘇生し、俺の前に現れた。 
いくら吸血種と言っても蘇生が早すぎる気がしたが、ここまで強大な力を持っていたのなら納得もできる。 
今度は蘇生できぬよう、「点」を真っ直ぐに貫いてやろうー 
そう決意し、重心を落して戦いに備える。 
相手の力は半端なものではない。一瞬で殺してしまわなければこっちが殺される。 
そう判断し、自分の体を極限まで加速するために力を溜める。 
 
それを見て、吸血種も何事か話しながら構えを取る。 
面白い。これほどまでに興奮する獲物は始めてだ。 
以前、この女を切り刻んだ時など比べ物にはならない。今度はこの女も本気で抵抗してくる。 
この世に、生命のやり取り以上の快楽はありえない。 
志貴が走りこむと同時に、女もこちらに向かってくる。 
まずは第一合。牽制のために女の目の前に振り下ろしたナイフを軽く躱し、女はそのまま恐ろしい鋭さの爪を繰り出してくる。 
ある程度予測できた攻撃なのでそれをかわし、懐に入りこむ。 
そして、悲鳴を上げる脳神経を必死になだめ、目を凝らす。 
あまりの痛みに耐え切れず、意識を失う瞬間。 
七夜志貴の目は、吸血種の体の中心にかすかにではあるが、「点」を確認した。 
『とった!!』 
 
            ドンッ!! 
 
志貴が勝利を確認してナイフを突き出すと同時に鈍い音が響き、女が横に吹き飛ぶ。 
志貴の手によるものではない。 
七夜の家に伝わるいかなる技を持ってしてもたかがナイフで人体を数メートルも吹き飛ばしてしまうようなことはできない。 
            第一、殺すのが目的であれば距離を取る理由は無い。 
ナイフが届く距離にいるのであれば、そのナイフで相手を殺してしまえばいいのだ。 
そんなことを考えていると、女は少し離れたところで起き上がった。 
その体には黒い柄を持つ、両刃の剣が突き刺さっていた。 
「邪魔はしないで欲しいわね」 
立ち上がり、その胸から剣を引き抜きながら、女は樹上へ声をかける。 
 
それに併せて、志貴も樹上に目をむけると、そこには黒い服に身を包んだ女が立っていた。 
足場が無いと言うわけではないが、かなりの高さがあり、不安定な場所だというのに平然と立っている。 
 
「シ……エル……先……輩?」 
「はい、シエル先輩です。遠野君はちょっとそのまま待ってて下さいね。」 
意識の奥に追いやられていた遠野志貴がなんとか体の主導権を取り戻し、声を振り絞ってそう言うと、シエルはいつもと変わらぬ笑みを浮かべてそう応えた。 
 
「なんのつもりかしら。あなたには関係の無いことだと思うのだけど」 
アルクェイドは目を金色に輝かせたまま、いらだたしげにそう言う。 
それをきき、やれやれと言う風に肩を竦め、首を振るシエル。 
「はい。あなたと秋葉さんがいくらガチンコで、血で血を洗う殺し合いをしようと知ったこっちゃありません。でも、遠野くんにまで及ぶと言うのなら話は別です。」 
にこやかに、いつも学校にいる時のような笑みを浮かべたままそう応える。 
シエルから殺意は感じられず、戦う気はないようにも感じられる。 
しかし、その左手には、さきほどアルクェイドに突き刺さったものと同じ形の両刃の長剣を持ち、背には子供の背丈ほどはあろうかという布の包みを背負っている。 
 
「ふん、わたしに『黒鍵』なんかで傷がつけられると思ってるの?」 
「ええ、残念ながらあなたとも長い付き合いですので、これぐらいじゃ滅ばないのはわかっています。」 
嘲るようなアルクェイドの言葉にも動じること無く、いつも通りの笑みを浮かべたまま、そう応え、地面に降り立つ。 
「遠野君のピンチと聞きましたので、きょうは出血大サービスです。」 
そう言ってシエルは黒衣を脱ぎ捨てる。 
下には動きやすそうなぴったりとした服を着込み、ところどころ露出した肌には呪的な文様がくまなく描かれている。 
そして、背負っていた包みを解き、そこにあったものを手に取り、両手で構える。 
そこにあるのは無骨な鉄の固まり。そして、鉄の固まりの先には白く鋭いもの。 
それは光ることもなく、さして硬そうにも見えない。 
よくよく見てみればそれは金属ですらなく、何か細かな模様を彫りこまれた動物の骨かなにかのようである。 
「ふん、そんなものまで持ちだしてくるとはね」 
「ええ、先ほども言った通り、出血大サービスです。いくらあなたでも第七聖典を受ければ無事ではすみませんよ?」 
憎々しげに睨み付けるアルクェイドと、あくまでにこやかに微笑むシエル。 
しかし、シエルが第七聖典を出した時から、あきらかに場の空気が変わっていた。 
第七聖典。転生批判の聖典の名を持つその武器は、凄まじいまでの力を持つ霊獣の角と、それを撃ち出すための銃身で構成されている。 
埋葬機関の手により呪力を増幅されたその角に貫かれると言うことは、転生さえも禁じられた存在の消滅を意味している。 
 
「……本気ね、シエル」 
「ええ、今日はあなたに負けるわけにはいきませんから」 
2人が言葉を交わしながら、じりじりと間合いを取り合う。 
「でも、いくら第七聖典があったからと言って、わたしを滅ぼしきる自信がある?」 
口調は嘲るようであるが、決して気を抜こうとはしないアルクェイド。 
「ええ、難しいでしょうね。ひょっとしたら無理かもしれません」 
「じゃあなんで!」 
自分にとって絶望的な言葉を淡々と告げるシエルに、アルクェイドが叫ぶ。 
            志貴は知っていた。 
            吸血鬼と埋葬機関。相反する存在ではあるが、2人は心のどこかで認めあっていたことを。その間に奇妙な友情にも似たものがあったことも。 
「わたしは負けるわけにいかないんです。遠野くんの思いに応えるためにも」 
「……やけに自信満々ね」 
 
            さすがに、志貴本人を目の前にしながらそこまで言い切るとは思わなかったのか、一瞬ひいてしまうアルクェイド。 
それは、横で何もできずにいた志貴と秋葉も同様であった。 
秋葉は何か言いたげにわなわなと震え、志貴はてれくさそうに頬をぽりぽりと掻く。 
 
「ええ、根拠がありますから」 
周囲の反応など気にならないかのようにシエルは自信満々で続ける。 
「そんなものがあると言うのなら、見せてもらいましょうか」 
アルクェイドの言葉を聞き、待ってましたと言わんばかりに軽く手を振る。 
すると、手の中に何かが現れる。 
物質転送(アポート)。シエルが得意とする魔術の一つである。 
戦闘中はこれによって黒鍵を呼び出し、倒すべき敵を打ち倒す。 
 
しかし、今回現れたものは、そんな無骨なものではなかった。 
「シスター本は14冊でした」 
「ひいぃぃぃぃっ!!!」 
 
シエルの手に現れたのは志貴秘蔵のコレクションだった。 
うろたえる志貴をよそに、シエルの説明は続く。 
「わたしは何と言っても現役生シスターです。遠野くんはそれはもう萌え萌えなはずです。!」 
            ずばーん! 
まるでそんな擬音が聞こえてくるかのようにシエルが堂々と言い放つ。 
「あ、あの先輩。そんなものどこから」 
「琥珀さんから遠野くんのピンチという電話を受けて、屋敷の方に行ってみたらありました。というか、琥珀さんが見せてくれました」 
            自分の質問にあっさりと答えたシエルの前に、志貴はもはや何と言えばいいのかも思いつかず、「あー」とか「うー」とかよくわからない言葉を発するぐらいのことしかできなかった。 
そして、言い放たれたアルクェイドと言えば、 
「ふふ、ふふふふふ」 
……笑っていた。 
「何がおかしいと言うのですか。もはや勝敗は決したのです。とっとと自分のお城に帰ってべそかきながら1000年ぐらい眠ってなさい」 
            すた。 
            アルクェイドの反応が予想外だったのか、少しいぶかしげな顔をしたが、気にせずに地面に降り立ち、そう告げる。 
            勝利者による敗者への最後の通告、と言ったところだろうか。 
しかし、アルクェイドはひとしきり笑った後に顔を上げ、シエルをしっかりと見返す。 
その目は敗北者のそれではなかった。 
「甘いわね、シエル」 
そう言ってアルクェイドは自分の懐に手を入れる。 
志貴は非常に嫌な予感がしたのだが、何と言うか、もはや諦めの境地でアルクェイドをじっと見ていた。 
            ごそごそごそ、ばさっ! 
志貴の予感は的中した。 
いや、もう予感と言うか、確信に近いものがあったのでいまさらどうとも思わなかったが。 
「見なさい。金髪巨乳ものが23冊」 
どうやってしまいこんでいたのかはわからないが、懐から取り出した大量の本を前に、アルクェイドは得意満面、といった感じであった。 
「シエルは巨乳って言うよりでか尻だもんねー」 
ぷぷぷ。 
口に手を当て、愉快そうにそう笑うアルクェイドを見て、シエルは顔を真っ赤にして言い返す。 
「ふふん。数があればいいってもんじゃないんです。ようは質です質。この本なんか、作者さんにサインまで貰っています」 
「甘いわね。結局のところ、保存されてるだけじゃ意味が無いわ。この本なんかもう折り癖つくぐらい繰り返し読まれているのよ」 
「いえ、こっちの本なんか保存用にもう1冊」 
「こっちの本は」 
 
激化する2人の言い争いをよそに、志貴はこの状況を打開する為の方策を練っていた。 
            案1:逃げる 
却下。あの2人から逃げることは人間には絶対に不可能だと思われる。 
            案2:戦う 
却下。あの2人に勝つのはガンダムでも不可能な気がする。 
            案3:道具を使う 
志貴は七夜の短刀を天にかざした。しかし何もおきなかった。 
 
……人間とはかくも無力な存在なのだろうか。 
志貴がそんな事を考えている間に、状況は変わったようだ。 
2人の言い争いはひとまず止まり、しゃべりつかれたのか荒く息をつきながら睨み合っていた。 
「これ以上言い争っても決着はつかないようですね」 
「そうね。確かに無駄な気がしてきたわ」 
2人のその言葉を聞いても、志貴は安心することができなかった。 
「志貴に選んでもらおう」 
「遠野くんに選んでもらいましょう」 
……ほら、やっぱり。 
志貴も馬鹿ではないので、段々周りの人間(?)の行動パターンと言うものもわかってきた。 
いや、わかったからと言って自分にいいことがあるわけではないので、まったくもって嬉しくもなんともないんだが。 
            「「どっち?」」 
2人が声をハモらせて詰め寄ってくる。 
やはり、仲がいいと思う。 
普段からこれぐらい仲良くしてくれれば自分の心労も減るのだろう。まあ、無理とは思うが。 
「金髪巨乳よね!?」 
「シスターですよね!?」 
2人とも、武器を持ちながら詰め寄ってくるのは世間では脅迫と呼ばれる行為になるので、やめた方がいいと思うぞ。 
そんな事を、なんだかはっきりと考えがまとまらない頭で考えていた。 
すると、突然アルクェイドが倒れた。 
見てみると、すぅすぅと息をしている。どうやら寝ているようだ。 
「なんですか?この香りは」 
シエルのそんな声を聞いて、志貴は初めて周りに甘い香りが漂っていることに気づいた。 
ああ、きっとこの匂いのせいで頭がぼんやりしてるんだな。 
さらにぼやけつつある頭でそんなことを思っていると、シエルもばたりと倒れた。 
ああ、そうだ。 
琥珀さんがなにか薬でも焚いたんだ。 
            志貴は、やっと事の真相に気づきながら眠りの世界に落ちていったーーーーー 
             
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