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              わたしの朝は早い。 
 朝の光が射し込み出すか出さないかのうちに目を覚まして、むくりと起きて深呼吸。 
「うにゅぅ……」 
 自分でもなんだかよくわからない、強いて言えば寝ぼけた猫の鳴き声みたいな……いけないいけない。 
 今日から早起きすると決めたのだ。 
 確かに昨日まではひとよりちょっと遅く起きていたけど、今日からその生活を改める事にしたのだ。 
 もうリンに『お子様はいいわね、優雅な生活を送れて』とか嫌味を言われるわけにはいかないのだ。 
 って言うかリンだって人のことは言えないと思う。 
 最近は確かに早起きして士郎やサクラの食事の支度を手伝っているようだけど、士郎がどこかに泊まりに行ったりするとちっとも起きてこなくて、あまつさえ起きてきたと思ったらあの惨状だ。 
 学園に通っていたころは穂群原のアイドルとして名を馳せていたらしいけど、全く持って信用できない。 
 まあ、魔術の腕と同じぐらい――いや、多分それ以上に猫を被るのが上手いリンのことだ。一枚二枚どころじゃなく山のように猫を被って周りの人たちを騙し続けていたに違いない。リン、怖い子……! 
 まあ、リンのことなんかどうでもいい。 
 確かに昨日嫌味を言われて腹が立ったのは事実だけど、『リンだって体の一部はお子様みたいなものじゃない』と言ってやったので気は晴れた。 
 リンは『アンタに言われたくない』とか何とか言っていたけど、わたしには未来があるのだ。リンにも無くは無いかもしれないけれど、それでも可能性はわたしの方が高い。 
 ついでだったので『年増』って言ってやったら本気で切れていた。 
 いくら魔術師だからと言って、レディにあるまじき振る舞いだと思う。 
 そんなことをぼーっと考えているうちに目も覚めてきた。 
 パジャマを脱いで最近お気に入りの白い服に着替える。 
 着替え終わったら軽く気合を入れて、ドアを開けて廊下に出る。 
「……寒っ!」 
 寒かった。 
 故郷に比べれば全然寒くは無いけれど、それでも寒い物は寒い。 
 特に最近、秋も深まってきてめっきり寒くなった。 
 これで雪が降ったら温かな部屋から出られるのかどうかが不安でしょうがない。 
 ――いけないいけない。 
 わたしは今日から立派なレディに生まれ変わると決めたのだ。日本語で言うと『できる女』。寒さなんかに負けてはいられない。 
 それに、ぐずぐずしているわけにはいかない。 
 早くしないと先を越されてしまう。 
 そう。この家でリンと並び立つもう一人の女性、マトウサクラに。 
 さっき未来があると言う話をしたが、いくら未来があってもあれには――あの領域にたどり着けるかどうかは正直不安なものがある。 
 わたしの知る限り、男性と言う物は一般的におっきいのに弱いらしい。その面から見ればサクラは圧倒的な戦闘力を持っていると言ってもいいだろう。 
 わたしには確かに未来がある。 
 わたしの肉体年齢が今のサクラの年齢に追いつくのはまだ五年は先のことだ。 
 自分で言うのもなんだけど、わたしは同世代の娘たちと比べて見ても発育はいいほうだし、なんだかんだ言ってみてもサクラは所詮日本人だ。 
 サクラが日本人の平均から見れば確かに発育のいいほうかもしれないけれど、国外に出てしまえばそうと言うわけではない。世界は広いのである。 
 しかし、わたしの生まれはヨーロッパ。わたしがサクラ以上の戦闘力を持つことは確率的に見てもかなり高いと思う。こっそり体操も始めたし。 
 でもまあ、例えわたしが天井の女神を嫉妬させるほどのプロポーションを手に入れることが決まっていたとしても、どう贔屓目にみてもその領域に届くには三年――いや、五年はかかってしまうだろう。 
 そんなに時間がかけるわけにはいかない。戦況は刻々と変化しているのだ。 
 わたしが士郎を一発で篭絡してしまうような魔性の女になる前に、現・魔性の女なサクラに転んでしまう可能性は、決して低くない。 
 士郎、なんだかんだ言っても状況に流されやすいタイプだし。 
 
 そんなわけで、わたしは生まれ変わる事にしたのだ。 
 待つだけの女ではいけない。 
 これからは女性が攻める時代。 
 タイガの家のお手伝いさんたちもそう言っていたから間違いない。 
 先人たちの言葉は大事にしよう。 
 とは言っても、体は急には育ってくれない。 
 残念ながら、その分野ではサクラには敵わない。 
 と、なれば。 
 他の分野で巻き返す必要がある。 
 そんなわけで今朝の早起きに繋がるのである。 
 士郎は聖杯戦争が終わった今でも、予定が無ければ毎晩土蔵で魔術の鍛錬を続けている。 
 その鍛錬は真夜中まで続き、士郎がそのまま疲れ果てて寝てしまうことも珍しくない。 
 って言うかほぼ毎回である。 
 で、昨日は鍛錬しに行って寝落ちたこともしっかり確認済み。 
 思わず『ふっふっふ』とか悪役っぽい笑い声を漏らしてしまう。 
 廊下から縁側に回り、昨日の夜のうちに用意しておいたサンダルを履く。 
 そしてそのまま少し早足で庭を横切って土蔵へ。 
 周囲に人の気配は無い。 
 勝った。 
 でもここで気を抜くことなく全身をチェック。 
 鏡を使えないのは残念だけど、服にしわが寄ったりしていないし、髪の毛も乱れたりはしていない。 
 よし。 
 この髪の毛はあの士郎が『綺麗な髪だよな』とか褒めてくれたのだ。 
 士郎を知る人物なら、それがどんなに凄いことかわかるだろう。 
 あのエミヤシロウが女性の外見を褒めたのである。 
 これは大いに脈ありの印と見てとって間違いはないだろう。 
 あの時の事を思い出すと顔が自然とにやけてくるけど、意志の力でそれを必死に押さえ込む。 
 数分立ってようやく収まったので、足音を忍ばせて土蔵の扉の前に立つ。 
 この中には鍛錬に疲れて安らかに眠る士郎がいる。 
 その体を優しくゆすってやると士郎は寝ぼけ眼で起き上がり、わたしを見るだろう。 
 ひょっとして『おはよう、桜』とか言うかもしれないけれど、そこは大人の女らしくにっこり笑って許してあげよう。 
 そして士郎の目が覚めたら二人仲良く台所に行って朝ごはんの支度をするのだ。 
 サクラやリンが起きてきたころには時既に遅し。 
 彼女たちは台所で仲むつまじい夫婦のように朝食の支度をするわたしとシロウを見て嫉 妬の炎に燃え上がることだろう。 
 ふっふっふ。 
 輝かしい未来を想像して愉快な気持ちになりながら、扉を開ける。 
 土蔵の扉なのだから決して軽いものではないけれど、わたしにとってみれば大したことは無い。 
 出来る限り音が立たないように細心の注意を払って扉を開ける。 
 そして、土蔵の片隅に眠る士郎のところへ――行って見たらもぬけの空だった。 
「え?」 
 おかしい。 
 士郎は昨晩確かにここで安らかな寝息を立てていた。 
 思わずいたずらしちゃいたくなるほど安らかに眠っていたのだ。 
 ちなみに我慢するのはかなりつらかった。 
 そんなことはどうでもいい。 
 ひょっとして他の場所かと思って土蔵の隅から隅までのぞいてみたけど、士郎はどこにもいない。 
 寝る時脱いで並べてあった靴もなくなっているし、寝る時使っていた毛布は隅の方に畳んで置いてある。 
「――あ」 
 気づいたわたしは駆け出した。 
 靴が無くて寝具がしまわれていると言うことは、つまり士郎はもう既に目覚めていると言うこと。 
 目覚めた士郎がまずどこに行くかと言えば―― 
「お早う。今日は随分早いんだな」 
 当然台所だった。 
 いつ起きたのかはわからないけれど、もうすっかり普段着に着替えてエプロン装備で朝 ごはんの支度をしていた。 
 つまり、あれだ。 
 作戦失敗と言うやつだ。 
 わたしは早起きして――リンどころかサクラよりも早起きをしたというのに、士郎はそれより早く起きていたのだ。 
 そしてわたしが精一杯身だしなみを整えて、うきうきしながら土蔵に向かうころには台所に到着して朝食の支度を始めたのだろう。 
 一言で済ませてしまうなら、単なるすれ違い。 
 士郎は何も悪くない。 
 士郎はちょっと普段より早く目が覚めて、いつも通り朝ごはんの支度を始めただけ。 
 何の悪意もないし、何の問題もないただいつも通りの日常。 
 ただその日常の中で、わたしが一人で浮かれて一人で駆けずり回っただけ。 
 士郎は悪くないのだから、士郎を責めるなんてことはしない。 
 悪いのはただわたしだけ。わたしが一人で―― 
 ぼふ。 
 悩んでいたら、士郎の大きな手がわたしの頭の上に乗せられた。 
「……士郎?」 
「ごめん、ひょっとして土蔵まで来てくれたのか?」 
 その声はあまりに優しくて。嘘偽りなくわたしにすまないと思っているのがわかったので。 
 わたしは無言で、こくりとうなずいた。 
「毛布かけてくれたのも?」 
「……あのままだったら士郎が風邪引くと思ったから」 
 昨日の夜、様子を見に行ったら士郎は何もかけずに寝ていたから。 
 さすがにあの時間には起こせなかったけれど、風邪を引くと大変だと思ったから士郎の 部屋から毛布を取ってきた。 
 そして士郎を起こさないように気をつけて、そっと毛布をかけて自分の部屋に戻ったのだ。 
「ありがとな」 
 そういって、士郎は優しく手を動かしてわたしの頭を撫でてくれた。 
「……士郎?」 
「ごめんな、せっかく起こしに来てくれたのに」 
「ううん。それはわたしが勝手にやったことだから。士郎はちっとも悪くない」 
 本当だ。 
 何をどう考えても士郎はちっとも悪くない。 
 だから士郎はもっと堂々としていてもいいはずなのに、士郎は申し訳なさそうに何事か考えた後に、自分の目線をわたしに合わせて、にっこり笑いながら口を開いた。 
「よし。それじゃあ、無駄な手間をかけたお詫びに何か言う事を聞いてやるよ」 
「……本当?」 
「ああ」 
 そう言って士郎はもう一度にっこりと笑い、『でもあんまりお金がかかることは勘弁な』とかおどけて言っていたけれど、わたしがそんなことを望むはずが無い。 
 今わたしが、士郎に頼むことはただひとつ。 
「朝ご飯作るの、手伝わせて」 
「え?」 
「だめ?」 
「いや、いいけど……そんなのでいいのか?」 
 士郎はなんだか納得いかなさそうにしているけれど、朝起こすことが出来なかったのだから、せめてその後の予定は達成したい。 
 だからわたしはしっかりと、やや大げさにうなずく。 
 そしてもう一つ。 
「髪くくって」 
「はい、わかりましたお嬢様」 
 わたしの言葉を聞いて士郎は楽しそうに髪をくくる。 
 残念ながら、その表情は恋人を見る目ではなく妹を見る目だったけれど。 
「今はこれで十分」 
「何か言ったか?」 
「ううん。なんにも」 
 わたしは首を左右に振ってそう答える。 
 今はまだ妹かもしれないけれど、この積み重ねが将来のためになると信じて。 
「よし、頑張ろうな。ライダー」 
「うん」 
 わたしと士郎は、朝ごはんの仕度を始めた。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「と、言う夢を見ました」 
「ここまで引っ張って夢オチですか。ライダー」 
「申し訳ありませんが。しかしあれは幸福な夢でした……」 
「私にはわかりかねます。私は逆に、もう少し背丈が欲しい」 
「ままならないものですね」 
「はい……」 
 
 
             
             
             
 
 
「ふと思ったのですが」 
「なんでしょう」 
「我々は現界しているとは言え、結局のところはサーヴァントです」 
「確かに、それは事実ですが」 
「サーヴァントは聖杯の力を受けてこの世に現界しています」 
「それで?」 
「と、いうことは、聖杯の力を使えば姿形に多少の融通が利くのではないでしょうか」 
「す、すると……」 
「私はもう少し愛らしい、少女のような体に」 
「私はもうすこしふくよかに、女性らしい体つきに」 
「……」 
「……」 
「サクラ! サクラはいませんか!?」 
「イリヤスフィール! 頼みがあります! 出てきてください!」 
 
 
 
 
 
 願望機と呼ばれた聖杯を持ってしても、出来ることと出来ないことがあると知って二人がへこんだのは別な話である。 
 
             
             
             
 
 
 
「冬木の聖杯では不可能でも、他の聖杯ならば!」 
「それです、ライダー!」 
 
 
 
 
 
             各地の聖杯戦争で大暴れする一対のゴーストライナーの話も別の話である。 
             
             
             
             
             
            
             
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