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             「ただいま帰りました」 
 玄関の扉が開く音に続いて、自分の帰りを知らせるライダーの声。 
「おかえりなさい」 
「おかえり」 
「おかえり」 
 玄関まで迎えに行ったりはしないが、俺たちは口々にそう答える。 
 ちなみに、上から順番に桜、遠坂、俺。 
 そして軽やかな足音が聞こえ、少ししてライダーは俺たちのいる居間にやってきた。 
「ただいま戻りました」 
「うん、お疲れ」 
「いえ、自ら望んだことですから。それで、買ってきたものはどうすればいいのですか?」 
「あ、それじゃあこっちにお願い。台所に持ってきてくれれば、あとはわたしが整理するから」 
「わかりました、サクラ」 
 桜の声に従い、両手に『ニコニコマート』とプリントされたビニール袋を持って台所へと向かうライダー。 
 それを見て遠坂がはぁ、とため息をついた。 
「どうしたんだよ、遠坂」 
「ううん、今更どうこう言う気も無いんだけど……スーパーにお使いに行く英霊っていうのは、やっぱりちょっとね」 
 そういってなんだか微妙な笑みを浮かべる。 
「? いいじゃないか。ライダーの言ってた通り、ライダーたちが望んだことなんだし」 
 そう。この前の料理対決以来、ライダーとセイバーは進んで家事を手伝おうとしてくれるようになった。 
 実際のところ、俺と桜と遠坂がいれば大抵のことは事足りてしまうのだが、それでも二人の気持ちを無駄にしたくは無かったので、いろいろと手伝ってもらっている。 
 ちなみに最近やってもらっていることは、掃除と買い物。 
 洗濯は桜と遠坂、料理は俺と桜と遠坂が交互に行っている。 
 ライダーとセイバーも料理をしたがっていたが、それは断った。いや、人には向き不向きがあると言うことで。 
 それで今日はライダーが当番の日で、セイバーはイリヤといっしょに出かけている。 
 『江戸前屋の主人に手伝いを頼まれました』とのことで、晩御飯も向こうでご馳走になってくるらしい。 
「その通りなんだけどね。降霊課の奴らがこれを知ったら卒倒するんじゃないかなー、とか思っちゃって」 
「遠坂の言うこともわかるつもりだけど、俺は二人を―――」 
「『家族だと思ってる』でしょ? わかってるわよ。わたしだってそのつもりだし」 
 遠坂は俺の言葉をさえぎってそう答えた。 
「まあ、言ってみれば職業病みたいなものだから。間違っても二人を連れてロンドンに行こうなんて思ってないから安心しなさい」 
 無理やりつれて行くわけにもいかないしね、冗談っぽく付け加えてそう言った。 
 まあ確かに、遠坂がいかに優れた魔術師だろうと本気になった二人には歯が立たないだろう。 
 魔術師とは言っても、所詮は人間。 
 英霊たる二人にはかなうわけが無いって言うか負けているのを最近よく目にする。 
 そんなこと指摘したら俺の命が危ないので言わないが。 
「衛宮くん? 何か言いたいことがありそうだけど」 
「いえ、滅相もありません」 
 鮮やかな笑みを浮かべて問いかけてくる遠坂にあわててそう答える。 
 さすが赤いあくま、油断もすきも合ったもんじゃない。 
「士郎、よろしいでしょうか」 
「ん?」 
 助かった。 
 実にいいタイミングでライダーに声をかけてもらったので、そっちの方を向く。 
 遠坂はまだ言いたいことがあるみたいだったが、とりあえず今のところはあきらめてくれたようだ。 
 次の魔術講座がとてつもなく不安になってくるが、とりあえず今は気にしない。 
 俺はこの一瞬を大切に生きるんだ。 
 さておき、ライダーだ。 
「で、どうしたんだ?」 
「実は、こんなものを貰ったのですが」 
 そういうライダーが手に持っているのはA4サイズの何かのチラシ。 
 受け取ってみてみると、『納涼肝だめし大会』と書いてある。 
 そして中央にはいかにもな感じの墓場と幽霊のイラスト。 
「あー、今年ももうそんな時期なのか……」 
「士郎、『肝だめし』というのはなんなのですか?」 
 そう言ってこっちをじっと見つめるライダー。 
 最近、だいぶこの世界のことも理解してきたようだが、まだ知らないことは沢山あるようだ。 
 まあ確かに肝試しなんか普段の生活に何にも関係ないしな。 
「んー、『肝試し』ってのはあれだ。文字通り肝―――度胸を試すものだな」 
「度胸試し、ですか」 
「まあ、そんな大したものじゃないけどな。大抵の場合はどこか目的地に行って目印を取ってくる感じで」 
 俺も昔参加したことがあるし、手伝ったこともある。 
 最近はご無沙汰だったが、昔は結構楽しみだった気がする。 
「それで、ライダーも参加するの?」 
「魚屋の政さんに『是非参加してくれよ』と頼まれましたので」 
 台所から戻ってきた桜に聞かれると、ライダーはなんだか申し訳なさそうにそう答えた。 
「しかし、今日の掃除当番は私です。肝試しに参加するのならそんなに時をおかずに出発しなければいけませんが、まだ風呂掃除と布団敷きが残っています」 
 いやまあ、確かにその責任感はすばらしいことだと思うんだが。 
 心底真面目な顔で風呂掃除と布団敷きの使命感に燃えるライダーと言うのはなんだかほほえましくて。 
 でもさすがに笑うわけには行かないので、何とかこらえながら桜と遠坂のほうを見ると二人とも同じような表情をしていた。 
 でも俺が目配せすると、こくりとうなずいてくれた。 
「いいよ。肝試しは今日だけなんだし、俺たちでやっておくからライダーは行ってきなよ」 
「しかし…・…」 
「ライダーだって行きたいんでしょう?」 
「いえ、どうしても行きたいと言うわけでは……」 
「ほら、ぐずぐず言ってないで。士郎も桜もいいって言ってるんだから、わたしたちの気が変わる前に行くって決めちゃったほうがいいわよ」 
 ライダーはまだなにか言いたそうだったが、ちょっと考えたあとに観念したように口を開いた。 
「それでは、お願いします」 
「うん。行ってらっしゃい、ライダー」 
「申し訳ありません、サクラ。明日は必ずやりますので」 
「まあ、もともと私たちが家事やってたんだし。気にしないで行ってきなさい」 
「ありがとうございます、リン」 
「それで、パートナーは決まってるのか?」 
「ええ、実はそれを士郎にお願いできないかと思いまして」 
「ああ、それはかまわないけど」 
「「え?」」 
 遠坂と桜の声がハモった。 
「? どうしたんだよ、二人とも」 
「先輩、その、パ、パ、パ、パ、パ」 
「パートナーってなによ!」 
「何ってほら、ここ」 
 なんだか狼狽している桜と怒り心頭っぽい遠坂にさっきのチラシを見せてやる。 
 
『マウント深山商店街 納涼肝だめし大会 
 
 日時:○月○日19:00〜 
 場所:柳洞寺石段下 
 
 注:参加者は男女ペアでお願いします』 
 
「な、な、な、な」 
「いや、ガキのころは藤ねえといっしょに参加したんだけど。一度、驚いた藤ねえが大暴れしたことがあって、それ以来参加できなかったんだよ」 
 実は結構長い歴史を持つらしいこのイベントにおいて、参加を禁じられたのは藤ねえだけだという。 
 さすが藤ねえ。いや、まかり間違っても尊敬したりはしないが 
「それではよろしくお願いします」 
「うん。こっちこそよろしくな」 
「せ、先輩! それならわたしがパート」 
「申し訳ありませんサクラ。わたしのために雑事を引き受けてくださって」 
「あ、うん。そんなことは気にしなくていいんだけど今の問題はそこじゃなくて」 
「そうよ! そういうことならわたしだって参加したことないんだから」 
「リンまで、まだまだこの世界のことを知らない私のためにこういう機会を譲ってくださって」 
「ふん、わたしは桜と違うわよ。そんな奇麗事でごまかされるほど甘くは」 
「では、時間がありませんので失礼します」 
 まだ何か言おうとする遠坂と桜を前にして、ライダーは深々とお辞儀をした。 
 まあ確かにもうすぐ出かけないと間に合わないかもしれないなあ、とか時計を見ながら考えていたら、ライダーに抱きかかえられた。 
 なんかもうひょいって感じで、肩のところに。 
「ライダー!?」 
「申し訳ありません、士郎。時間が無いので走らせていただきます」 
 そう宣言すると同時にライダーを中心に魔力が渦巻き、黒いボディスーツに身を包んだと思った瞬間駆け出した。 
 途中玄関で一旦停止して、靴を履きつつ俺の靴を拾い、ドアを開けて猛ダッシュ。 
 その間実に数秒。 
 そしてライダー(と、肩口に抱えられた俺)はまさに風のような速さで走り去った。 
「「ライダーーーーーーッ!!!」」 
 だから、一瞬後に開け放たれた扉の中から聞こえた叫び声はさっぱり聞こえなかった。 
 
             
            
              
             
             
             そしてそれから少しして。 
             俺とライダーは、集合場所で受け取ったろうそくを片手に薄暗い森の中を歩いていた。 
             久しぶりに参加した肝試しの内容はと言うと、柳洞寺の森の中にある古い祠に行って目印持って帰ってくると言うありきたりなルール。 
             ちなみに俺たちは一番手だ。 
             いやまあ、確かに出発したのは集合時間までぎりぎり間に合うかどうかと言う時間だったが、それは普通に歩いていった場合の話である。 
             ランサーと並び立ち、サーヴァント中最速と呼ばれるライダーが全力疾走すれば数分かからず到着する。 
             でもまあさすがにライダーもボディスーツ姿で人前に出る気は無かったらしく、少しはなれたところで停止して、普段着に戻ってからまだまばらにしか人のいない集合場所へと歩いていったわけだ。 
             
             で、受付をしていた商店街の皆さんに一番手をおおせつかった俺たちは目的地を目指しているわけだが。 
             出発するときにみんな口々に「頑張れよ」と声をかけるのはなんか初めて見た気がする。 
             少なくとも俺が藤ねえと参加していたときは何も言われなかった。 
             まあ、あれから結構たっているし、色々変わっているのかもしれない。 
            「しかしライダー。なにも全力疾走することは無かったんじゃないのか?」 
             なんとなく気になったことを聞いてみると、ライダーは申し訳なさそうな表情で返事をしてくれた。 
            「申し訳ありません。なにぶん初めてのことなので気分が浮き立ってしまいまして」 
            「いや、責めてるわけじゃないんだ。ただちょっと気になっただけで」 
             俺の言葉を気にしたのか、俯いてしまったライダーにあわててそう声をかける。 
             そんな時。 
             進行方向からなんだか生温かい風が吹いてきた。 
             ライダーと一緒に前のほうを見ると、木々の間にぼんやりと光る火の玉が見える。 
            「ああ、人魂か」 
             おそらく、アルコールか何かをしみこませて火をつけた布を糸か何かでつってぶら下げているんだろう。 
             子供のころはかなり怖がった覚えがあるが、さすがにもう怖くは無い。 
             まあ定番っちゃ定番だから最初のイベントとしては妥当かもしれないが、これじゃあライダーも――― 
            「きゃー」 
             俺にしがみついてきた。 
            「ラ、ライダー?」 
            「とても驚きました」 
             ライダーは俺の腕にしがみつきながらそう言った。 
            「いや、あれでか?」 
            「とてもおどろきましたなんですかあれはおそろしい」 
            「いや、あれは一応人魂のつもりだろうけどっていうかめっちゃ棒読みな気がするんですが」 
            「気のせいです。私はとても怖がっています」 
             いや、いつも通りの冷静な顔でそうおっしゃられましても。 
             っていうかそんなにしがみつかれるとなんていうか柔らかい感触が。 
            「いやあの、ライダー。大丈夫だからもう少し離れてくれないか?」 
            「だめです。このまま一緒に歩いてください」 
             どうも離れる気はないっぽい。 
             まあ色々言いたいことはあるけど、あんまりぐずぐずしているわけにもいかないのでそのまま行くことにする。 
             人魂に近づくと、隠れる気もあんまり無いのか八百屋のおっさんが俺と俺にしがみつくライダーを見てニヤニヤしていた。 
             こっちにも色々言いたいことはあるけどそのまま進むことにする。 
             通り過ぎるときにサムズアップしているのはどういう意味か聞きたいけどやっぱり聞かないことにする。 
             とりあえず、肝試しはまだ始まったばかりだ。 
             目的地の祠に着くまでにまだ色々あるだろうし。 
            「ライダー、とりあえず通り過ぎたから離れないか?」 
            「こわくてあしがすくんで動けません。士郎、わたしをひっぱっていってください」 
            「いやあの」 
            「だめですか?」 
            「いや、うん。わかった」 
             あくまで不安だと主張するライダーにあまり強く言うわけにもいかず、とりあえずそのまま進むことにした。 
             まあ、今日はライダーに付き合うって決めたんだし。 
             決して左腕に伝わる感触は関係ないぞ。信じろそこ。 
             
             
            
            
  
             
             
             で、その後も肝試しは進んで俺とライダーは森の中を歩いて行った。 
             商店街の皆さんも気合が入っているのか、実に色々と用意していた。 
             冷たいこんにゃく、シーツを使った幽霊、怪物のマスクをかぶって物陰から飛び出してくる人。 
             ほかにも色々とまあ何て言うか肝試しフルコースって感じで色々とあった。 
             で、ライダーはと言うと。 
            「きゃー」 
            「ひー」 
            「うわー」 
             これでもかと言わんばかりにすべてに対して驚いていると主張した。 
             いや、疑っちゃいけない。 
             ライダーは驚いた。 
             まあとりあえずそこはいい。納得しておこう。 
             それより気になるのは商店街のみんなの反応だったりする。 
             みんな一通り驚かせた後は一様にこっちを見てニヤニヤとして、快く送り出してくれる。 
             確かに前に肝試しに参加したのは結構前だったけど、こうじゃなかった気がする。 
             さらに、薬屋のおばちゃんにいたっては俺の前に出てきて何か手渡して去っていった。 
            『赤まむしドリンク』 
             ……深く考えないでおく。 
             なんかもうどんどん密着してきて感触がなんかもう色々大変だけどそっちも考えないでおく。 
            『……色即是空、空即是色、喝』 
             そういえば最近会っていない、この山の上の寺に住んでいる親友の真似をして必死に心を平静に保つ。 
            「士郎、足がすくんでしまいました。おぶってください」 
             平静に保って進んだ。 
             とりあえずおんぶはだめだ。 
             なんか色々想像できるがダメだって言うか絶対ダメだ。ライダーをおぶる筋力が無いとかそういうことは無いが、おぶってしまう今この左腕で感じるものが背中にぴったりとくっついてしまうわけでそれはダメだ。とても魅力的だけどダメだ。 
             なんか今更って意見もあるけど絶対ダメだ。 
            『色即是空、空即是色、色即是空、空即是色、色即是空、空即是色』 
             正直、言葉の意味はあんまりよくわからないけど、それでもそれっぽい言葉を頭の中で何度も唱えながら突き進んだ。 
             そして、永遠に続くかと思われたそんな天国のような地獄のような時間にも終わりのときがやってくる。 
            「着いた……」 
             そう、目的地である祠にたどり着いたのだ。 
             目の前には由来もよくわからない小さな祠があって、小さな壷の中に竹串が何本も入っている。 
             おそらくはこれが目印なのだろう。 
            「よし、ライダー。後はそれ持って帰れば終わりだ」 
            「帰りはもう何も無いのですか?」 
            「ああ。昔と一緒なら、帰りは特に何も無いはずだ。帰りのルートは明るいし」 
             ほら、と帰りのルートのほうを指差してやる。 
             道幅も今までよりは広いし、だいぶ明るい。 
             距離も短めだし、そんなにかからずに集合場所に戻れるはずだ。 
            「さあ、早く帰ろうか」 
            「……そうですね」 
             なんだかライダーが答えるまでに間があったのが気になるけど、それでももう終わりだ。 
             なんか色々疲れたので早く帰って休みたい。 
             いやまあ嫌だったとかそういうことは無いけど気疲れしたと言うかなんと言うか。 
             ライダーも安心して気が抜けたのか、離れてくれたので一人で祠に向かって竹串を一本取る。 
             よし、これで後は帰るだけだ。 
             そう思ったときに。 
             
             ガサッ 
             
            「士郎!」 
            「うおっ!?」 
             祠の裏から何かが飛び出してきた。 
             肝試しにおいて、安心しきったこの瞬間。 
             確かにこの瞬間を狙うのは常套手段だ。 
             気が抜けていただけにびっくりした。 
             でもなんていうか、それだけじゃなくて。 
             出てきたものを見てびっくりした。 
             そこにいたのは、何て言うか。 
            「うらめしやー」 
             まあ、なんだ。 
            「うらめしやー」 
             日本古来より伝わる由緒正しい幽霊の台詞を繰り返す少女がいた。 
            「うらめしやー」 
            「……」 
            「……」 
            「……」 
            「あの、うらめし」 
            「いや。それはわかったけど、何してるんだセイバー」 
            「何を言うのです。私はセイバーなどと言う剣の英霊ではなく、ここで死んだ落ち武者の幽霊です」 
             ほらほら、とか額をつけた三角頭巾を主張する少女って言うかセイバー。 
             ああ。 
             江戸前屋のおっさんの『手伝い」ってこのことだったのか。 
             まあ確かにセイバーは商店街では(その食いっぷりを含めて)人気者なので商店街の人たちが手伝いを頼んだとしても何もおかしくない。 
            「聞いているのですかシロウ。私はこの地の合戦で敗れた落ち武者の霊です」 
            「いや。とりあえずそんな格好した落ち武者はいないだろう」 
             そう。セイバーは聖杯戦争のときに見慣れた白銀の鎧に身を包んでいた。 
             ここで合戦があったかどうかは知らないけど、とりあえずイギリスから遠征してきた騎士と戦うことは無かったはずだと思う。 
             そんなことを思っていると、祠の裏から声をかけられた。 
            「ほら、だから言ったじゃない。そんな格好じゃダメだって」 
             そう言って祠の裏から出てきたのはイリヤ。 
             ちなみにイリヤもセイバーとおそろいの三角頭巾をつけているけど、こっちも服は見事な普段着だった。 
            「えーと、イリヤ」 
            「ごめん、シロウ。ちょっと待っててね」 
            「いや、そういうじゃなくて」 
             俺の言葉なんか聞こえてないように、イリヤはセイバーの前に立ち、セイバーもイリヤと目線を合わせるようにしゃがみこんだ。 
            「だから言ったじゃない。ちゃんとこのメモの通りにしなきゃダメだって」 
            「その通りにしているではないですか。ここに『落ち武者の霊は生前着ていた鎧兜を身につけている』とあります。だから私はこの鎧を」 
            「ダメダメ、よく見なさい。ここの所」 
            「いやあの、二人とも?」 
            「シロウは黙っててってば。今忙しいんだから」 
            「ああ、はい。ごめんなさい」 
             突っ込みどころは山のようになるんだが、口を挟ませてはくれなかった。 
             二人はこっちに目もくれず、イリヤが持っていた懐中電灯の明かりを頼りにノートを読みふけっている。 
             どっかで見覚えのあるノートをじっと見てみると、表紙に何か書いてある。 
             ど真ん中に豪快な毛筆で『肝試し心得の書 一巻』と書かれ、その傍らにはなんだか見慣れた虎印のスタンプが。 
            「それは?」 
            「『肝試しで驚かす側に回る』って言ったらタイガがくれたの」 
             あのばか虎。 
             得意満面でこのノートを渡す姉貴分の顔を幻視して頭を抑える士郎。 
             って言うか気づけイリヤ。 
             俺としてはあの虎に突っ込む担当はお前に任せたい。 
            「つうか、落ち武者になるのは侍だろ」 
            「士郎、確かにこの国に伝わる『武士道』は実に興味深いがわれわれにも『騎士道』がある。騎士が侍に劣るなどと思わないでいただきたい」 
            「いや、問題にしてるとこが違うから」 
             セイバーがこの世界で生きることを選択してくれたのは嬉しいんだが、なんだか最近のセイバーはどこかずれてきている気がする。 
             なんかもう目印の竹串持って帰りたいんだけど、真剣に思い悩む二人を見ているとそういうわけに行かない気がするので見守ることにする。 
             俺の傍らにいるライダーもどうしたものかと考えているようで、何か思い悩んだ状態でじっと立っている。 
            「よし、わかったわ」 
            「ええ、これで完璧ですね」 
             なんだか結論が出たみたいだ。 
            「それじゃあもう一度ね」 
            「いや、だからイリヤ」 
            「ほら、シロウ。そっちの影まで戻って! ライダーも!」 
             横暴極まりない言葉に従い、とりあえず言われたとおりに来た道を少し戻る。 
             うちの姉には理不尽なのしかいないのか。 
            「ゆっくり十数えたらもう一回来てねー」 
            「ああ、はいはい」 
             なんかもう半分ぐらい自棄になって数を数え、きっちり十数えてから祠に向かう。 
             そんでそのまま祠の前に行き、さっきと同じく竹串に触った瞬間また出て来た。 
            「うらめしやー」 
            「……」 
            「うらめしやー」 
            「……」 
            「うら」 
            「セイバー、ひとつ聞いていいか?」 
            「ですから、私はセイバーなどと言う」 
            「ああもう落ち武者でも何でもいいんだがひとつ聞かせてくれ」 
            「何ですかいったい」 
            「さっきと何が違うんだ?」 
             そう。見た感じなにも変わっていない。 
             身につけているのはいつもの白銀の鎧だし、三角巾もしっかりつけているし。 
            「髪の毛です」 
            「はい?」 
            「先ほどは不覚にも忘れていましたが、タイガの書に『落ち武者はざんばら髪』とありました。ですから結っていた髪の毛を解いたのです」 
             どうですかシロウ、とでも言いたそうなセイバーを見ると、確かにいつも結っている髪の毛は解かれて方まで伸ばされている。 
             でもまあセイバーは髪を結っていたと言っても、当然のごとくちょんまげを結っていたわけではないのでざんばら髪にはならない。 
             どっちかと言うとイメージチェンジしてみましたって言うかそんな感じ。 
             それで一生懸命俺を怖がらせようとしているセイバーは怖いと言うよりむしろ微笑ましいんだが、そう言うわけにもいかないのでライダーのほうを見る。 
             そして、どうしたものかと聞いてみようと――― 
            「きゃー」 
             思った瞬間ライダーは悲鳴を上げて俺に抱き着いてきたって言うかしがみついて右足で俺の脚をすばやく払った。 
            「おわっ!?」 
             全く予想だにしていなかったその行動に全く反応できず、そのまま祠の脇の茂みに倒れこむと、そのままライダーも覆いかぶさってきた。 
            「何をしているんですかライダー!」 
            「ああ、セイバーでしたか。貴女の扮装があまりに怖くて狼狽して士郎に抱きついてしまいました」 
             なんだか俺の上ではそこはかとなく白々しい会話を繰り広げられてるんだけど、それどころじゃなく。 
             ライダーは俺の上に覆いかぶさっているわけで。 
             地球には引力と言うものがあるわけで。 
             つまりどういうことかと言うと、つい先刻まで俺の左手に密着していた感触が俺の胸元に当たる上にライダーの重みも加わってその柔らかいものが形を変えて密着していやちょっと待ってくれオヤジこれが大事にしなきゃいけないものか? 
            「離れなさいっ!」 
            「もう、何やってるのよ三人とも」 
             そこはかとなく混乱している間にも状況は進展し、セイバーは怒って今にも剣を抜こうとしてるし祠の裏から出て来たイリヤはこっちを見てにやにやしている。 
             いやここは俺が何とかしなきゃいけないのはわかるんだけどちょっとごめん今この状況で動けるほど俺は経験が無いとは言わないけど肝試し始まってからずっと色々あった上にこうなるともう何ていうか魔法の一つって人を幸せにすることとかそんな感じだった気がするけど、俺は今その魔法を体感してる気がします。 
             そんな感じで、なんかもう少しでたどり着けそうになっていたんだけど、状況が変化した。 
             真っ正面から抱きついていたライダーが抱きついたまま体を左のほうにずらしてなんか感触が俺の上を移動していますよ? 
            「しょうがありません。私は左半身に抱きつきますので貴女は右半身をどうぞ」 
             なんだか、聞き捨てなら無いことを聴いた気がする。 
             ライダーが左に抱きつくからセイバーは右? 
             さすがにちょっとそこまでされるとまずいんじゃないだろうか。 
             いや、今でも十分まずいけどそれ以上って言うかちょっと無理。 
            「そんなこと……」 
            「目的のために犠牲を払う必要がある場合、躊躇していては犠牲が拡大する可能性がある。貴女はそれをご存知だと思いますが」 
            「くっ」 
             俺が考えを全くまとめられずにいる間にも状況は刻一刻と変化していく。 
             セイバーは動かない。 
             そうだ。セイバーはここで抱きついてくるような性格じゃない。 
             よし、だんだん落ち着いてきたからここは一つライダーに離れてもらって――― 
            「セイバーが抱きつかないならわたしがー」 
             攻撃と言うものはいつも予想だにしない方向からやってきます。 
            「イリヤスフィール!」 
             そう。セイバーが叫んだとおり。 
             イリヤが俺に抱きついてきた。 
             位置的にはど真ん中。 
             俺の首にぎゅっと抱きついて「えへへー」とか言う感じで満面の笑みを浮かべている。 
             いや、ぶっちゃけイリヤが抱きついてくるのは結構いつものことなんだが。 
             今日はなんだかもう神経昂ぶっているみたいでイリヤの何ていうか甘い香りが俺の鼻をくすぐって。 
            「イリヤスフィール!」 
             セイバーは繰り返し叫ぶけど、イリヤは聞く耳もってないみたいで俺の首元にまるで子猫のように頬擦りしている。 
             でもそれだけではなく。 
             少し顔を起こして、セイバーに向かって一言だけ言葉を発した。 
            「ほらセイバー、ここ空いてるよ」 
             今、なんとおっしゃいましたか。 
             いや、理解はできている。 
             イリヤが言った言葉の意味もわかる。 
             しかし、それを納得するわけにはいかない。 
             ただでさえ今の俺の左半身にはライダーの柔らかな肉体が密着し。 
             中央ではイリヤがじゃれ付いてなんかいい香りがしていると言うのに。 
             これでもしセイバーが顔を真っ赤にしながら俯いて、鎧を外していつもの服で恥ずかしそうに「それでは失礼します」とか言いながら抱きつかれてますよ? 
             そう。気がついたときにはセイバーは俺の右半身に寄り添っていた。 
             ライダーみたいに密着しているわけではないけど、それでもその体温と感触がわかるぐらいの距離で。 
            「……申し訳ありません、シロウ。もし不快でしたら言ってくださればすぐにでも退きますから」 
            「ばか、そんなことあるもんか」 
             これ以上ないってぐらい顔を真っ赤にしてそんなことを言うセイバーに、反射的にそう答える。 
            「あー、シロウ。セイバーのときばっかりそんなにー」 
            「イリヤ。三人で分け合うと決めたのですからもう少し仲良くしましょう」 
            「はーい」 
            「いや、だから」 
             この状況はいけないと。 
             こんな状態が許されるわけがないと。 
             この場から離れるべきだと。 
             考えたわけではなくそう感じ、その感覚に従って最後の理性を振り絞り、何か言おうとした時に。 
             ライダーが耳元で囁きかけた。 
            「それではシロウ。今の状況がお嫌ですか?」 
             ぞくり、と。 
             ライダーの声を聞いた瞬間、俺の背中を何か快感めいたものが走って。 
             驚いてライダーの方を見ると、ライダーはその眼鏡越しに潤んだ瞳で見つめ返して来た。 
            「いいんですよ」と。 
             声に出しはしなかったけれど、それでもその瞳でそう語り、妖艶に微笑む。 
             ああ――― 
             もう、限界だ。 
             こんなに魅力的な女性に囲まれて、何もせずにいられるほど俺は聖人君子ではない。 
             今なら親父の気持ちがわかる。 
             男なら、引いてはいけない時がある。 
             そして俺はゆっくりと手を伸ばして。 
             やがて俺が感じたものは。 
             
             ちゅごーん! 
             
             衝撃と爆風だった。 
            「何やってんのよあんたたちはっ!」 
            「今すぐ先輩から離れなさいっ!」 
             そしてまあ、今の爆発の影響でもうもうと上がる土煙の向こうには、まさに怒髪天を突くって感じの見本と言ってもいいような遠坂と桜。 
             その姿、まさに鬼神。 
             うん、あれだな。さっき感じた危機感はこれだ。 
             さすがにこう何度もこういう状況を潜り抜けると、ある程度予測はつくものらしい。 
            ああ、そうか。 
             これがエミヤシロウの完成形、赤い外套の弓兵が持っていったスキル『心眼(真)』か。 
             何かろくでもない原因で目覚めつつある俺の新たなスキルは、いまだ変わらぬ危機を訴えつづけている。 
            「ライダーだけならともかく、セイバーさんやイリヤちゃんまで!」 
            「ふん、なんだかんだ言っても士郎のことは諦めないってことね」 
             そう言って並び立つ、魔術師の姉妹と。 
            「サクラにどっか行けなどと言うつもりは毛頭ありません。ただちょっとたまには私に貸して欲しいだけです」 
            「私は士郎の剣となり盾となり、共に生きると誓いました。それを妨げると言うのならば、それが誰であろうと容赦はしません」 
             ゆっくりと構える二人の英霊。 
            「ねえ、士郎はどっちが勝つと思う?」 
             それを眺めながらのんきにそんなことを聞いてくる悪魔っ子。 
             そんな三つの勢力に囲まれた危機的状況の中、俺の心眼はこの後の俺の姿を予測する。 
             
             
             
             
             そう。ライダーの足を止めるために遠坂がぶん投げた宝石がすっぽ抜けて俺に直撃、全治二週間の怪我を負うというところまでしっかりと。 
             
             
             
             
             
             
            「士郎、可哀想に。動けないと何かと不自由でしょう。ここは私が」 
            「何をするつもりかしら?」 
            「サクラ、いくらなんでもこんな日の高いうちからそんなことを言うわけには……」 
            「何をする気ですかっ!」 
             あ、なんかもう一週間ぐらい追加されそうな気がしてきた。 
             って言うか、危険が判っても避けられないならこんな能力要りませんいやマジで。 
             
             
             
             
             
            p.s.翌年から藤ねえに続いて俺たち五人がそろって肝試しに参加させてもらえなくなったことを追記しておく。 
            。
            
  
             
             
             
             
            
            
            
             
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